chippokeccoの森

ひっそりと物語をしたためる場所

Whale & Me ー浜辺の光ー

 クジラは言った。
「マルグリット、なんで君はそんなにクヨクヨしているんだい?」
 私は言った。
「あなたに関係ないでしょう?」
「そりゃそうだけれど、なんだって君はそんなに暗い顔をしているんだい?」
「うるさいなあ。さっきから同じことばっかり聞かないでよ。見ればわかるでしょう?悩みごとがあるのよ」
「そうか。その悩みごとというのは、君の心をにごらせて、やさしい笑顔をなくし、輝きをくもらせてしまってまでも必要なものなのかい?」
「それは違うけど……でもね、今本当に苦しんでるの。どうしたらこの暗くて苦しい世界から抜け出せるの?」
「君はそんなことでふさぎ込んでいたのかい?」
 私はそのクジラの少し驚いたような声にイライラした。
「なによ。なにも知らないくせに」
 ぶすっとした顔でそう答えた私を見て、クジラは少し困ったような笑顔を浮かべていた。
 
「そうだなあ……そうだ、思い出してみようよ。ぼくたちはいつどこで出会ったかな?」
「なによいきなり。ずっと昔の夏の夜、この浜辺で出会ったのよ」
 私は少し面倒くさげにぶっきらぼうに答えた。
「そうだったね。ああ、あの時は楽しかったねえ!」
 クジラの声には、少年が母親に今日経験した楽しかったことを報告する時のような明るいハリがあった。そのクジラの声を聞いたとき、暗く重苦しかった私の心の中に小さなろうそくの炎がポッと灯されたような気がした。
「そうね」
 私はぽつりと答えた。
 
「あの日、ぼくたちは初めて会って、一緒にきれいな星をながめたね。君は最初、ぼくを怖がっていたけど」
 クジラはおかしそうにクックッと小さく笑った。
「そりゃそうよ。いきなりシロナガスクジラが浜辺に現われて、話しかけてきたんだから!」
 クジラはそれを聞いてクスクス笑ったあと、私をじっと見つめ、私になにかを確かめるようにゆっくりと聞いた。
「君は、『あの頃の君』からなにかが変わってしまったのかな?」
 少し考えてみたが、クジラの問いかけの答えが、私の心の中に見つからなかった。
「わからない。そりゃあ、私もあの頃より大人になったんだし、もしかしたらなにかが変わってしまったのかもしれないね」
 
 クジラはなぜか沈黙してしまった。
 そんなクジラをぼんやりと眺めていると、突然ふわりとした真っ白な繭にやさしく包まれているかのような感覚におそわれた。それは私の灰色に染まった心にまで忍び込み、心の中を真っ白な絵の具で染め直してくれているようだった。知らず知らずのうちにできていた心のささくれをも、優しくいたわってくれているかのようだった。
 
 その不思議な心地の良い感覚が途切れた頃、クジラはおもむろに口を開いた。
「ねえ、マルグリット。ぼくは今も君のことが好きだよ」
 クジラのその言葉の響きはとても純粋で、人間の発するそれと違い、嘘も穢れもなにも感じなかった。
「私もあなたが好きよ。それは変わらない。だから、今までずっとこうして友達でいられたんじゃない」
「ねえ、一体全体、君はなにが変わってしまったの? そりゃあ、見た目は少しばかり変わってしまったみたいだけど」
 私は、わざと怒ったようにクジラに向かって小突くふりをした。
「うるさいわねえ。女性にとって月日の流れほど残酷なものはないのよ」
 クジラは、私の言葉など意に介さずに続けた。
「なにが残酷なの? 君の心の奥にある輝きはなにも変わっていないよ。今も昔も、何も変わらない。ぼくはいつもその光を見ているんだ。この浜辺にはたくさんの人間が来るけど、その中でも君の光はまぶしくて、それを見てぼくは君とお友達になりたいと思ったんだ。それなのに、なんで君は、わざわざその光を隠すようなことをしているの? 本当の君は、そんなんじゃないのに。君の本当の輝きを知る人がそれをみたら、とても悲しい気持ちになるんだよ。ぼくは君の光を見たいのに、君はどうでもよいことに惑わされていて、そのせいで君のきれいな光が翳ってしまうんだよ」
 私は何も言えないまま黙ってうつむいていた。
「人間って不思議だなあ。どうしたってくだらないことを考えすぎてしまうんだ。わざわざ好き好んで暗い世界に飛び込んで、ぐるぐると迷路のように彷徨い歩いてしまうんだ。その迷路を出るには光が必要なのに、自分のもっている光を見ようともせず、どこかに光を求めて彷徨い続けるんだ。ねえ、お願いだから、もうそんなことは止めて、顔を上げて笑ってくれないかなあ?」
 
 私はなぜかクジラの言うことにそのまま飲み込まれたくなくて、言い返したくなった。
「あなたの言う通りかもしれないけれど、そのくだらないことが私にとってまだ重要な意味をもつのよ。私はいま悩んでいることを手放すことはできないの。この苦しみがいつか結晶になり、将来私の心が豊かになるかもしれない。今悩んでいることを克服できたら、私は成長できる気がするの」
 私は一気にそう話したけれど、自分の放った言葉が本音なのかなんなのか、もう自分でもよくわからなかった。
「ふうん……なんだか変わった趣味を持っているんだね」
「別に悩むことが私の趣味ではないのよ」
「君の趣味というか、ぼくはそれが人間の趣味だと思うよ」
 
 しばらくの間私たちは黙っていた。
 ぼんやりとクジラの言葉を心の中で反芻していると、「人間の趣味」という言葉が少しずつ心にしみ込んできて、思わずクスっと笑ってしまった。
 そっか。そうなんだ。私はわざわざ好き好んで暗闇の中をもがき苦しみながら悩んでいたんだ。人間ってなんだか魔訶不思議なことをしているのかもしれない。そう思うとフッと心が軽くなった。
「いいぞ、その調子」
 そう言うと、クジラは私の顔をのぞきこんだ。
 
 私はクジラの目をみた。
 この世のすべてを知っているかのような、大きくて優しい目。
 私の秘めた思いも過去も現在も、何もかもを見透かす澄み切った目。
 この目がいつも、まるで魔法のように私を降参させてしまう。
 あまりにその目が澄んでいて奥深くて、私の抱えるすべてがどうでもいい嘘っぱちのように思えてしまう。
 あれ、私の抱えていたものってなんだったっけ?
 私を暗くて重い世界に封じ込めていた灰色のモヤモヤは、一体なんだったっけ?
 すべてがどこかに流されてしまったように、よくわからなくなってしまった。
 
 そうだった。いつもそうだった。
 クジラが私の目を見つめる時はいつも、目ではなく私の心の奥底にある光を見ていた。
 怖がっていた私をクジラがあやし、一緒にたくさんおしゃべりをして、美しい星空をみていたあの夏の日。
『あの頃の私』と、『現在の私』とでは、何が違うのだろう?
 今クジラが見ている『現在の私』の光は、『あの頃の私』の光と何が違うのだろう?
 
 クジラはほっとしたような顔で、私を見ていた。
「やっぱり君には笑顔が一番似合う」
 私は静かに涙を流しながら微笑み、クジラを見つめていた。
 
 その時ふと気づいた。
 クジラの頭の上に、とても大きくて美しい満月が輝いていた。
 そして、たくさんの星が夜空いっぱいに瞬いていた。
「やっと気づいたかい? 今日は夜空がとてもきれいなんだよ」
 私はいつ以来なのか思い出せないほど久しぶりに空を見上げた気がした。
 
 私はゴロンと砂浜に寝ころんでみた。クジラと星空を眺めたあの夏の日のように。視界を遮るものはなにもなく、目の前にひろがる星空をすべて抱きしめているかのようだった。クジラの大きな目も夜空を眺めている。美しい夜空を眺めながら静かにゆっくり呼吸をしていると、だんだんと心の中が澄み渡っていく。もはや私の心の中は何色でもない。無色透明だ。
 私をがんじがらめにしていた灰色のモヤモヤすべてを、今日、捨ててしまおう。そして、すべて無くなった心の中に、新しいものを取り入れよう。できれば、暗い色でないものを。色とりどりの美しいものを。

 クジラはそんな私を見て、にっこりと微笑んだ。
「それでこそ、君なんだよ」

はじめましてのごあいさつ

はじめまして。

chippokeccoと申します。

 

この度、恥ずかしながらこっそりと物語を掲載してみようとブログを始めてみました。

 

今まで物語など書いたことがない素人なのですが、ここで少しずつ練習していきたいと思います。

 

アワアワしながらしたためた拙いお話ばかりですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

※ふと思いついたときに筆をとる&遅筆のため、不定期の掲載になるかと思います。それも併せてよろしくお願いいたします。